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山本周五郎 「虚空遍歴」を読んで [読書感想]

まず、読み手にとって、この小説は二重の「構造」になっているように感じます。
筋としては芸の道を極端にまで究めようとする男のひたむきな思いとその行動が緻密に描かれています。いつも周五郎の短編などで感じる明るさはほぼ味わえませんが、にも関わらず最後まで読むのをやめることができません。初めは主人公の思いに大きく共感していても、最後に向かってだんだん怪しくなり、ぐらつき、ラストでは何か放り出されるような気持ちになってしまいます。
さらに、登場する女性は、しっかり性格が描かれ、リアルな存在を感じさせるものの、逆に彼の心の中をそのまま反映しているだけの「幻」のような妄想上の存在と言ってもいいような感じを受けます。そのようなノンフィクションの話しがあったと思いますが、特に今回「独白」として合間合間に入る話しは全体の構成を引き締める効果があるだけに登場する女性たちの立ち居、ふるまいは印象的です。

もう一つの「構造」としては、この小説を読んでいる自分の生き様に思いをはせてしまう感じ方です
半世紀も生きた人間として自分を振り返ってみても、うまく捉えどことがない人生を歩んできた事実を前にすると、この主人公のように物事を究めるという生き方、その極端までの思い込みは、一体何なんだと。自分ははたして何を究めようとして、何を夢見て生きてきたのかと。落ち着きのようもない感じが、頭の中で行ったり来たりします。内田樹は「『気分良く死ぬために、私は今何をなすべきか?』という問いをつねに自分に向け、あらゆる判断に際して、そのことを判断基準にする人がいたとしたら、その人はずいぶんと穏やかでフレンドリーで思索的な人物であるはずだ」と表現されています。ラストに向けて話しは暗くなっていくようですが、そこには明確には書かれていませんが、主人公は実際に何がなされるかは関係なく、自分の心の中で一つずつ事を片付けていく過程を丁寧に追って行ったような気がします。そして、最後にすべてを昇華させて逝く。死んだあと無縁仏になろうとも、野原の石ころの下に埋葬されようとも。そして仕事も、名前もすべて消えうせる。

最後に、蛇足ですが、構成上の物足りなさを一つだけ挙げてみたいです。それは、彼がなぜそこまで浄瑠璃に入れ込むのか、そもそもなぜ唄を歌いだしたのか、好きになったのかが良くわからかった点です。そもそも武士の家に生まれた人間が一体何故その方向に気持ちが傾いて行ったのかつかみにくいところがありました。こうした心変わり等は自明なのかもしれませんが、ひょっとしたら「武士」の位置づけの捉え方が、周五郎と私(もしくは世代が次に移ってからの人間)の間で理解に大きく食い違いがあるのかもしれません。こうしたことは、他の時代小説を呼んでいる時も、よく感じることですが、この後も「武士」がいた江戸時代からはさらに離れていくわけで、ある種「自明」な事実もしっかり解説をしないと通じない事がますます出てくるのかもしれません。
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