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「デフレ脱却」って?

今の政権は「デフレ脱却」がメインテーマの一つだそうだ。

ただ、どうしても気持ちに引っかかって、理解できない点は、「デフレ脱却」って何だ?ということ。
そのままの意味を捉えると単にモノの値段がこれ以上下がらないようにすることに思う。自分のつたない経済理解では、同時に貨幣価値は上がっているということになる。そこで疑問は2つ。

[第1の疑問] 可処分所得(いつでも使えるお金という意味で)で買えるモノの値段は今が「適正」なんじゃないの?今まで余分なコストを大きく上乗せさせられて、それを消費者はただ負担していただけじゃないの?それの証拠に最近海外に行ってモノを買って帰るということに魅力を感じなくなっている。落ち着いて考えるとモノの値段が今の状態まで下がって、一般生活的には何の問題もないような気がします。「いやいや、特に製造業では理不尽な失業が増加し、普通の生活ができなくなってきている」という話しがあるかもしれません。しかし、そうした問題が起きているとすれば、これはデフレの問題ではなく、今までの我々のやり方が通用しなくなり、この国の社会構造を今こそ変えていくタイミングである、シグナルであると考えるべきではないのか?ということです。


[第2の疑問] 「デフレ脱却」って、言いかえれば「インフレ誘導」という事でしょ?日銀も同調しているようだし。それで、モノの値段は上がるでしょう。この上がった分はどこへ行くのか?私の予想ではただ企業内部に還元されるだけになり、決して個人に回ってきたり、給料が上がるなんて事には絶対にならないだろうということ。実際今年の春闘では「賃下げ」の議論が現実味を帯びてきているし。我々はまたおとなしく、政府や企業に従い、振り回されるだけじゃないか?


ここで、ちゃんと疑問を提起しなければ、個人が考え、社会を変えていくという折角のチャンスをまた逃すような気がしてます。
で、こんなところですが、ちょこっと思いを書いてみました。
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共通テーマ:日記・雑感

山本周五郎 「虚空遍歴」を読んで [読書感想]

まず、読み手にとって、この小説は二重の「構造」になっているように感じます。
筋としては芸の道を極端にまで究めようとする男のひたむきな思いとその行動が緻密に描かれています。いつも周五郎の短編などで感じる明るさはほぼ味わえませんが、にも関わらず最後まで読むのをやめることができません。初めは主人公の思いに大きく共感していても、最後に向かってだんだん怪しくなり、ぐらつき、ラストでは何か放り出されるような気持ちになってしまいます。
さらに、登場する女性は、しっかり性格が描かれ、リアルな存在を感じさせるものの、逆に彼の心の中をそのまま反映しているだけの「幻」のような妄想上の存在と言ってもいいような感じを受けます。そのようなノンフィクションの話しがあったと思いますが、特に今回「独白」として合間合間に入る話しは全体の構成を引き締める効果があるだけに登場する女性たちの立ち居、ふるまいは印象的です。

もう一つの「構造」としては、この小説を読んでいる自分の生き様に思いをはせてしまう感じ方です
半世紀も生きた人間として自分を振り返ってみても、うまく捉えどことがない人生を歩んできた事実を前にすると、この主人公のように物事を究めるという生き方、その極端までの思い込みは、一体何なんだと。自分ははたして何を究めようとして、何を夢見て生きてきたのかと。落ち着きのようもない感じが、頭の中で行ったり来たりします。内田樹は「『気分良く死ぬために、私は今何をなすべきか?』という問いをつねに自分に向け、あらゆる判断に際して、そのことを判断基準にする人がいたとしたら、その人はずいぶんと穏やかでフレンドリーで思索的な人物であるはずだ」と表現されています。ラストに向けて話しは暗くなっていくようですが、そこには明確には書かれていませんが、主人公は実際に何がなされるかは関係なく、自分の心の中で一つずつ事を片付けていく過程を丁寧に追って行ったような気がします。そして、最後にすべてを昇華させて逝く。死んだあと無縁仏になろうとも、野原の石ころの下に埋葬されようとも。そして仕事も、名前もすべて消えうせる。

最後に、蛇足ですが、構成上の物足りなさを一つだけ挙げてみたいです。それは、彼がなぜそこまで浄瑠璃に入れ込むのか、そもそもなぜ唄を歌いだしたのか、好きになったのかが良くわからかった点です。そもそも武士の家に生まれた人間が一体何故その方向に気持ちが傾いて行ったのかつかみにくいところがありました。こうした心変わり等は自明なのかもしれませんが、ひょっとしたら「武士」の位置づけの捉え方が、周五郎と私(もしくは世代が次に移ってからの人間)の間で理解に大きく食い違いがあるのかもしれません。こうしたことは、他の時代小説を呼んでいる時も、よく感じることですが、この後も「武士」がいた江戸時代からはさらに離れていくわけで、ある種「自明」な事実もしっかり解説をしないと通じない事がますます出てくるのかもしれません。
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